5月4日。記憶の限りでは初めての国立西洋美術館です。
今やってる企画展はこの美術館の歴史を辿るみたいなやつらしい。初心者にも優しい?と思いきや終始「美術館がこれまでの自らの在り方を自問し続ける展示」なので"これまで"を知らないと逆にハードルが高い。
撮影禁止マークが表示されてない作品は撮影可能、なのだが普段出先で滅多に写真を撮らない悪癖が祟り私のスマホのフォルダにはほぼ何も残っていない。
ロダンの『考える人』を除いて。
ブっ倒れてる『考える人』、レアすぎるでしょ。さすがにこれにはカメラを向けざるをえない。
現地では「像の中身こんななってんだ〜」とか思いながら撮影したが、改めて写真見るとこの姿勢なんかめっちゃ親近感湧く。ベッドの上でまるまりながらダラダラゴロゴロしてる私だいたいこんな感じ。赤ちゃんみたいなカッコ。体にぴったりフィットするベッドの上に転がるの気持ちよさそうね。多分彼の思考止まってるわ。初めて会ったけどあなたと私気が合いそうな気がする。
てか初対面がこれって考える人さんからするとちょっと気まずいっすよね。まあでも企画展の間何千何万のお客さんにこの姿晒し続けてんだからもう気にしてないか。そもそも端から客の目線なんて気にしてない?さいですか。
Q:なんで倒れてるの?
像の向かいにあったもの。空白の台座。
この展示エリアでは関東大震災と被災した美術品が考察の起点になっている、らしい。
決して広くはない空間で、『考える人』の横にも別の像が倒れている。足の踏み場は十分にあるけど足元になんかすごい像が置いてあるの怖すぎてつい慎重に足場を選んでしまう。瓦礫の上を歩くよう?
展示空間の話でいえば、ここは唯一の土足禁止エリア。大事な美術品に泥つけちゃいかんのでそりゃ当然なのだが、靴を脱ぐ=外から内に入る行為を挟むことで作品との心理的な距離が図らずも突然に縮まる。ゆえに緊張感も高まる。
狭さを感じる部屋に赤いカーペット、隣の部屋から流れてくるペインターFの映像*1の透明ながらも野性味ある音声、別に部屋の印象は暗くないのに根源的恐怖を掻き立てられるような気持ち悪さ。
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この展示の解説にて、BLM運動でエドワード・コルストンの像が倒され市中引き回しの刑に処されたのち海に投げられたあの話*2が取り上げられていたが、ここでそれが言及されたことに私は少しノイズを感じてしまったというか。いやノイズという言葉絶対正しくないんだが、ただコルストン像の場合倒れたことに「その像のもつ価値・意味の逆転」という事象が伴っていたのに対し、『考える人』が倒れたことには人為が介入する余地はなく、震災以前/以後でその価値の逆転は発生していないはずなので正確な対称にはならないなあという、そういう意味でのノイズ。
いやわかる。あくまで展示方法・表現方法として倒すことで特別な意味が付与できるという、そういう話の中でコルストン像がヒントになったということよね。実際私が展示室内で感じたあの気持ち悪さは生活の中で潜在的に感じ続けている「地震により全てを失う恐怖」そのもの(のような気がする)ので、展示方法としてこんなに正しいことはない。
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なんというか、地震という文脈を通すと冒頭で言った「ダラダラゴロゴロ」がめちゃ不謹慎になってしまうね。倒れてなお姿勢を崩さず思考し続ける人間、すげえです。私はあなたのようにはなれない。
ただ、地震で落下した像があの体勢で留まっている、というのも"嘘"ではあるので「オーダーベッドに身を委ねる『考える人』概念」というのもあながち間違いではなかろうて。
割と急ぎ目に回ったとはいえなんだかんだで開館の9時半からお昼すぎまでずっと企画展に籠りっぱなし。マジで時間足りん。東京住みならもっかい見に行ってたけどそれも叶わんので企画展の本読んで我慢します。おしまい。