【日記】チュルリョーニス展に行ったよ
2026年5月5日、国立西洋美術館で開催中の企画展「チュルリョーニス展 内なる星図」に行ってきました。

国立西洋美術館は(確か)2年ぶりだったと思う。このとき以来。相変わらず美術に関しては素人です。
今回は、20世紀初頭のリトアニアの画家/作曲家、チュルリョーニスにフォーカスした企画展。なかなか日本でお目にかかれることはなくて、名前を覚えるのが難しい。
写真撮影可だったので気に入ったやつを何点か撮ってきた。

写真で撮ると魅力が全く伝わらないな……。
展示されていた作品の多くは、自然を、とりわけ祖国の景色を切り取ったもの。写実的というよりも靄がかかったような幻想で、しかしシルエットは的確に捉えて、全体の空気を切り取るみたいに。
目に見える景色を図形として捉える、構造として理解する、そうすると自ずと世界が形になっていく。彼の作品からはそんな抽象化の過程の部分が見えてくる。具体と抽象のレイヤーのちょうど狭間の部分を見ているような感覚。抽象的、しかし現代美術的な過度に抽象化されたとっつきにくさはなく、あくまで景色を眺めるような感覚で飲み込める。そういう意味で抽象画への入門としてとても良い教材になるんじゃないかな。


稲妻の形も、騎馬の形も、全て抽象化された何某かの象徴なんだとしても、それを思考するより先に厨二心をくすぐる画としてのかっこよさに痺れさせられる。

三連画。額縁が窓枠に見えていいね。世界が広がる。ミクロに見れば塗り分けられた形でしかないのに、向こうにはその景色が"ある"。
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彼自身、画家としてのキャリアより作曲家としてのキャリアが先にあったらしい。彼の作ったピアノ曲とかオケ曲の一節が会場内に流れてたりした。

展示されてたピアノスケッチ。大譜表の左っ側のカッコのマークがヒトの横顔になっている。教科書の挿絵に落書きするのと同じ思考回路のユーモア。

彼の後世に評価されるところのひとつ、音楽の概念を絵画の中に持ち込もうとする試み。五線譜とか音符とか記号的なものを直接的に導入するような作品もいくらかあったが、音楽的形式、技法を絵画の中に入れ込もうとするこういった作品もある。
二連画。左がプレリュード、右がフーガ。プレリュードで山の頂付近、フーガでそこに連なる稜線を描く。前奏の中腹で提示された人影?がフーガで稜線に沿って列を成して追いかける。「人の形をしたものが連なること」はフーガである、衝撃的な事実。駅の構内、イベント会場、人が群れる至る所。我々は自らの意思で歩を進めているようで、ただ誰かが付けた足跡を辿っているにすぎない。そしてその無数の雑踏が全体の中のひとつの構造に組み込まれている。
あと解説によればこの連なってるの人じゃなくて木らしい。霊山に巡礼に来た登山者たちみたいな感じに見えてた。ごめんね。

レックス。企画展のラストを飾る作品。デカい。目の前に相対した瞬間に気圧されてしまった。この宇宙は生で見てほしい。それしか言えない。
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一通り見て、画家としての彼と同時に音楽家としての彼ももっと味わいたいなあと思ってたところ、なんと国立西洋美術館のYouTubeチャンネルにチュルリョーニスの楽曲プレイリストがあるではないですか。福利厚生が行き渡っているね。ありがとう。
癖のない中後期ロマン派音楽って感じで聴きやすい。穏やかでいいね。
総じてとても楽しい体験でした。あと図録買ったけど装丁凄すぎてびっくりした。気合い入りすぎ。行った人みんな買ったほうがいい。
【感想】『カラスに願いを』
私の最愛の作家、ガラナさんの一次創作『カラスに願いを』に関する感想文。連載中の感想ツイートをなんとか一纏めにして出力しようとする試み。
連載1話↓
自我と依存
誰かに寄りかかりながら生きることを当然としながら、膨張する自我を発見した喜びに飲み込まれていく中学時代。そんなませていく幼さを、アヤと未知という二人の依存しあうキャラクターで克明に描き出す。
二人の関係性は、能動的なアヤと受動的な未知、というふうに一見すると見える。実際未知は「誰かに寄りかかって、笑って相槌をうつ」ことで生きてきたような精神性をしているし(これ自体は悪でなく、共感による純粋な善意の表出である)、彼女が受動的なコミュニケーションをするのは事実だ。でも実情としては、支配しているのは未知のほうで、アヤがそれに絡め取られているとしたほうが正しい。
最初に話しかけたのは未知である。おそらく自己紹介で喋っているアヤを見て「彼女になら寄りかかれる」と直感したのだろう。アヤに「面白い話を聞かせて」と呪いをかけ、そしてそれを面白いかどうかジャッジするのも未知。クライマックスの事件だって、許すか否か決める立場にあるのは未知であった。アヤは新しい環境の中、自分を面白いと言ってくれた未知に対して面白くあり続けようと自我を構築する。中学に上がって自由を勝ち得たようで、実際は未知に依存していた。そしてその自我が膨張して、未知なら当然私を受け入れてくれると思い込むようになり、共依存の中、未知が"許す"ことで成立していた関係が自我の押し付け合いによって瓦解する。
7話以降のアヤの罪の自覚、贖罪の表現は純度が高く、美しい。事件の発端が音楽に関する対立である点も、音楽で心を刺す自傷行為を甘んじて受け入れるあまりに青春なワンシーンへの解決が非常に心地よく、どうしたって共鳴させられてしまう。
そして、自分から語らない未知はズルい。もっと自己開示すべきだった。でもそれを責めることはできない。私だって未知のような人間だし、語らないことがいちばん穏便であることも私はよく理解しているから。それでも、コミュニケーションが双方向の開示である以上、アヤが面白い話をしてくれるのであれば、未知も「面白い話」を提供しようと努めなければならなかったはずである。これは未知の罪でもある。
「ひどいことをされたあと、仲直りする以外の道もあるんだって。付き合い方を見直すこともできるのかなって。それが大人になることなのかなって、そんなふうにも思ったんだ」
彼女自身はただ純粋な善意の塊であって、これまで「共感して受け入れる」コミュニケーションしかしてこなかったんだろう。それでも同年代の他者と同じように、自分の中で揺るがないものはどうしようもなく膨張していて、そのやり場に困惑していたのかもしれない。未知も等身大の中学生で、正しさなんてわからなくって、みんな傷つきながら、大人になろうとしている。
ガラナさんって10代になるの上手いですよね。なんというか、いつまでも学生になれて、拗らせた10代をひとつひとつ丁寧になぞりながら呼吸している感じ(ちくちく言葉)。でもその思い出をこうやって作品に昇華しながら清算できているのだから、やっぱりそれなりに大人になってしまったんだよね。いつまでも若くいたいね。
ツナグ
アヤの弟。今作のMVP。性格的にも物語の進行的にもあまりに従順。潤滑油のような存在。立ち入るべきところとそうでないところのラインを正しく認識している。姉がいる弟ってこうだよね、と思って狙って描写してるのであれば解像度高いと思う。
個人的には、もうちょっと大きくなって自分の部屋が欲しくなるお年頃になったツナグくんが楽しみだったりする(何の話?)。
カラス
タイトルの鳥。本来呪術的な凶兆としてのパブリックイメージが付与されるカラスという生き物にそれとは真逆の願いを込める、という発想を起点として展開される物語構成。
特筆すべきはその描写の絞り方。1話で取り上げられたのち、クライマックスの7話で再度登場するまでカラスに関する描写が一切ない。私だったら毎話どこかしらにカラスの描写を入れてしまいそうだが、そんなことしたら安っぽいでしょ、と突きつけられる。
1話以降極端に抑えられてきたカラスの描写が罪を自覚した瞬間に強烈な存在感を帯びる 全く公平な審判の目で、カラスはある種神様のように、確かにずっとそこにいて全てを見ていたんだとわかる 神様だから罪を自覚した瞬間に凶兆となる しかし神様だから"カラスに願う"行為だって正当性を帯びる
— サイ (@ta_nSAIb_ou) 2026年4月7日
1話の時点で、「ここカラスめっちゃいる」「カラスに願い事する」「アヤと未知を繋いだ存在としてのカラス」という要素は提示されている。それ以上の描写は不要であり、以降の話数で語られずともカラスは背景と同化してそこにいる。そしてアヤが罪を犯し、二人の関係性が変化した瞬間にカラスの存在感が強烈に立ち昇り、舞台装置として仕掛けられた役割を果たしはじめる。そのメリハリ、バランス感覚が天才的。
エピローグについて
Fledermausは先月、解散した。正直、私たちが高校に上がる頃には、テレビでもあまり見かけなくなっていた。ただ、今でもカラオケに行く機会があれば、『自嘲』は必ず歌うことにしている。
本来であればここがこの物語のエピローグになろうというところ。「私には付き合いの長い友人がいない」という1話冒頭のモノローグに回帰するように、バンドの解散、進学、疎遠というワードが繋がってゆく。僅かな繋がりとして『自嘲』を心に留めおくのみ。それでも十分美しいのだが、そんな味気なさをガラナさんは許しはしない。
先日、久しぶりにみっちゃんと会った。マオスの解散のこと。就活のこと。大学の面白い教授のこと。色々と話せた。別々の大学に行って疎遠になったのが、ひどくもったいなく感じた。そして、一つ約束をした。
カラスを見かけたら、お互いに報告すること。
時系列少し後のエピソードが最後に挿入される。やっぱり付き合いの長い友人でいてほしいじゃん、という願望。
「カラスを見かけたらお互いに報告する」、別に何かを願わなくてもいいけど、カラスを見かけるたびお互いのことを思い出す縛りを課す。そうやってカラスの繋がりを永遠にしようとする。少し邪悪な私は、この約束が形骸化してなくなってしまう何年後かのいつかに思いを馳せてしまうのだが、別にそこまで見ようとする必要はない。なんだかんだで、付き合いは続いていくかもしれないもんね。
【よかった】カントー交響楽団第5回公演レポ
2025/06/29(日)、さいたま市文化センターにて開催されたカントー交響楽団第5回公演に行ってきました!

カントーオケの演奏会は第3回公演以来毎年現地で聴かせてもらってます。私にとってはもはや年中行事。正月、お盆、カントー交響楽団。
↓前回前々回のレポ
私が会場に到着したのが14:20頃。14時開場、14時半から開演前のアンサンブルステージがあるとのことでちょうど入口が混んでる時間に来てしまい、アンサンブル間に合うかな、とヤキモキしてましたが…。
このオケ、入場待機列の捌きがうますぎる…!
入口前の大階段をうまく使いながら、どんどん流れてくる入場者をみるみるうちに並ばせ手早く順番に処理していく。手練れがいる。これはそう簡単にはできない。この前行った万博の入場ゲート前のほうがはるかにグダついてたもん。人気オケである自覚と責任を感じます。

↑エントランスで渡された、今年のパンフと"謎の封筒"。今年のテーマは「伝説のはじまり」らしいですよ。
プレコンサート・アンサンブル
今年は3曲!
1曲目、金管五重奏+打楽器ピアノで『タイプ:ワイルド』みんなに見せ場がある安定の編曲でよかった。初手でこのクオリティが聴けると正直かなり安心できます。バストロのおにいさんとってもいい音でした。
2曲目、クラリネット六重奏で『戦闘!ルギア』。大きな"うみなりのすず"を抱えて奏者登場。鈴を鳴らす演出から始まりルギアの出現、戦闘までをクラリネットで描きます。早いパッセージばっかで大変そう!タンギング絶対厳しいよね!でも決めの各部分ではしっかりクラリネットアンサンブルの響きがして好感。そもそもオケでこの人数クラが集まるのも珍しいよね。強敵譜面に果敢に挑むみなさんに拍手。あと入退場時うみなりのすずを不用意に揺らさないように慎重に運んでるふうにみえたのもよかったです。
3曲目、弦楽アンサンブルによる『戦闘!◼️◼️◼️◼️』、いわゆるSV楽園の守護龍戦です。「南エリア」をしっかり提示したのち守護龍戦、ホームウェイエピローグ「より道して帰ろう」のBGMを演奏。南エリアからやるの、ちゃんとしてるよね……。ここから名物のコスプレ奏者が見え隠れ。オレンジ/グレープアカデミーやブルーベリー学園の生徒さん、クラベル校長にコライドンさん、ナマケロさん(?)といった、SVゆかりの面々がステージに彩りを添えます。
コスプレ
恒例のコスプレまとめ。全部は紹介し切れない!
・アンサンブルステージ後そそくさとステージ設営に参加する働き者ニンフィアおにいさん
・設営時のイスの持ち方がなんかすごくシルバーくんっぽいシルバー
・ホテルオーナー版AZ!?時代の最先端をいく
・ZA主人公とガイタウニー!?もう誰も止められない!
・伝説のはじまりってテーマでジンダイさんチョイスするの渋すぎてすき
・モブトレも充実!芸術家に研究員!RSリポーター・マリダイの2人は舞台転換時のMVP
・イチョウ商会〜〜なんか黄色い歓声浴びても全然不思議じゃないなヴァイオリニストウォロギンナン凛々しすぎ
・テルショウVSボルトトルネランド
・シンオウリーグ組〜カントージムリ〜!オーバとエリカが談笑してたのポケマス味があるね
・てかヒビキ、マツバ、シルバーの並び当然のように受け入れてるけどこれもかなりポケマスだな(ホウオウ統一)
・ドククラゲに呑まれる奏者、ウツロイドに寄生される奏者、いろいろな奏者
・マッシブーンと……誰!?
他にもたくさん!アポロさんとかリーフちゃんとかもっとじっくり見たかったな。
第1部
おなじみのメインテーマを皮切りに、おなじみの”ポケモンジム銅像横のおっさん”ことカンノさんの司会でスタート!
1曲目、三鳥に焦点を当てた『組曲「輝く翼たちを求めて」』から自由度の高い解釈の編曲が聴けて満足。開口一番ストリングスの「マサキのもとへーハナダより」が短調アレンジで聴こえてくる、いつもの道路に急に暗雲が立ち込めるような感覚・空気が変わる直感は、季節・気象と深いつながりがある三鳥のためのアレンジのアイデアとして納得感があります(って勝手に感じてます)。そもそも専用曲らしい専用曲がないとか、初代はBGM使いまわされがちとか、なんかいろいろアレンジハードル高そうなところをうまくアイデア出して乗り越えている印象で好感度高いです。というか、”無人発電所のテーマとして「シルフカンパニー」「ポケモン屋敷」「ロケット団アジト」をメドレーにします”はかなり要求オタクレベル高くないか?まあでもそこまで細かく理解できずとも、「伝説を捜索しながらカントー各地を巡る旅」にはちゃんと聞こえるので、構成がうまいなあと。
2曲目、『都市再開発構想ーミアレシティ』。都市(=ミアレ)再開発(=アレンジ)構想(=妄想)。未発売タイトルのトレーラーで一瞬流れた楽曲の続きを妄想して補完するという、短い尺ながら本公演イチの強火解釈アレンジ。ZA2ndトレーラーのシャレオツなクラリネットソロミアレから、妄想部ではブラスセクションが光るビッグバンドアレンジに。多分”本家”がそこまで大胆な展開をすることはなさそうな気はするけど、今しかできない自由な妄想を存分に嚙み締めます。世界はこういう営みに投資するべき。
3曲目、『ヒスイ見聞録』。第3回公演で披露されたのと同アレンジでしょうか。ヒスイ楽曲、聞く分にはいいけど演奏するとなるとなんかすごく厄介そうな拍子の取らせ方させてくるので大変そう。コトブキムラのトライアングルの使い方が個人的にとても好き。
ホールの特性なのかわからないですが、ひな壇最上段の打楽器(特に金物類)は相当突き抜けて聴こえてきました。対して舞台ちょうど真ん中あたりのフルートとかはちょっと沈んで聞こえる場面があり(席の問題かな?今回は1階席かなり前の方で聴かせてもらいました)バランス感覚は少々難しそうでした。ただ演奏クオリティが前回前々回と比べても格段に上がってたので別に、ほんとに誤差程度です。(念のためおうちに帰ってから配信アーカイブ聴いてみたらフルートも割としっかり聴こえてたので私の耳が節穴でした。)
第2部
ここからYouTube配信アリ!去年同様配信視聴者の"みがわり"が見守るなか、司会のカンノさんがいきなり噛み噛みしちゃった気がするけど見なかったことにして第2部スタート。
1曲目、『交響詩《鳳凰伝説》2025』。第1回と第2回公演でもやってたみたいですが初見でした。いきなりミナキのテーマから始まるのだいぶ思想強いよね、とかそんなことは置いといてさあ!パーカッションやばすぎるって!!そりゃもうホウオウ戦なんでドコドコ太鼓鳴らしてもらわなきゃ困るわけですけど次元が違う。打楽器ゴリゴリ聴こえるバランスにしてたのはこのためですか。オケ全体のサウンドとしては他曲と比べてちょっと中音域がモサモサする感はあったけどそんなのはどうでもよくて、ただただパーカッションソリがブラボーでした。あとHGSSエンジュのイントロをヴァイオリンソロで仕上げるのよすぎ。「ショオォーーッ!!」(ホウオウ鳴き声)のヴァイオリン再現もめっちゃがんばってました。
2曲目、ホウエンのレジトリオに焦点を当てた『六つの点を駆ける冒険』。ホウエン道路BGM、オケとの親和性高すぎ。これ中低音のポテンシャルを最大限活かした編曲って感じでオケの鳴りがすごくよかった。1部からずっと思ってたけどコントラバスーン大好きです(告白)。終盤レジ戦がブルックナーっぽく変容しながら恐ろしい密度の中そのまま終止!最後の展開ほんとにすき。大変気持ちよかったです。
3曲目、『交響曲《シンオウ神話》』。第2回公演での演奏がYouTubeにも上がってるやつ。生で聴くのは初めてでした。1楽章アルセウスのバスドラムめっちゃいい音でした。このアレンジ構成いろいろすごいんだけどUMA戦の挿入タイミングがすごくって、ディアパル戦とギラティナ戦の間にぶち込んでるんですよね。またこれが悲鳴上げるようなアレンジなものだから、神の荒ぶりを前に世界を認識する主体たる心が崩壊して冥界に引き摺り込まれるような、そういう無慈悲な惨忍が見えてぞっとするんです。最終盤、天界の笛のトロンボーンコラール美しかったです。あの部分だけでトロンボーンのオタクが書くアレンジ・ポイントがカンストしました。
第3部
おや……?楽団員の様子が……?
全員コスプレを脱いで上下黒で統一。司会のカンノさん、ではなく女性ナレーター・もりね。さんが登壇。ナレーターの「ここは何処だ、私は誰だ」のあのモノローグを合図にミュウツーの逆襲が今!始まる……!
…………
あのあの、ここに来て演奏のクオリティブチ上がってませんか??この曲が今回のメインディッシュなのはそうなんですが、急に雰囲気変わっちゃってもう怖い。練習時間の8割をミュ逆に割きました!って言うくらいの勢いです。終始お口あんぐり。
シーンの概略、セリフナレーションを交えながらサントラ演奏する構成はシンプルながらたいへん親切設計。シーンを思い出して、音楽を思い起こす土壌を作ったうえで聴く。もりね。さんの台詞朗読の巧みさも相まって映画サントラの聴かせ方として非常に良かったです。
………………
もりね。さん、ソプラノもやるの……??ナレーション終わってもスポット消えないな〜って思ってたら歌い出したのでびっくりした。
あと今更ですが、パンフレットに劇場版の劇伴作曲された宮崎慎二さんの挨拶文載ってるのすごくないですか?これだけでこのパンフの史料的価値が高まっている。
エンディング「風といっしょに」の壮大なオーケストラまで一気に駆け抜けて〆。良い追体験でした……。
アンコール
割れんばかりの拍手の中、指揮者に花束、ではなくでかピカチュウぬいが渡されてそのままアンコールへ。
ミュ逆同時上映短編「ピカチュウのなつやすみ」主題歌『ピカピカまっさいチュウ』やります!って発表されたときの観客の反応が「ああ〜」とか「ほお〜」みたいな後方腕組み感満載の「わかってるねえ」ボイスだったのおもしろかった。歌唱はもりね。さん。歌のおねえさんすぎませんか……??
最後の最後!"前途有望なポケモントレーナー"の観客へ、始めに渡されたあの封筒を開けるよう指示が。中には……。

メッセージカードとめざポケの歌詞カード。これは、つまり……!
みんなでうたおう!『めざせポケモンマスター』!!
恒例の大合唱企画です。そういえば第3回では「風といっしょに」やったなあとか、第4回ではSVジムリ戦みんなで歌ったなあとか、色々思い起こされます。「ぴかちゅう〜」「そりゃそうじゃ」の合いの手が示し合わせずとも観客席から大合唱される空間、私が奏者側だったら泣いちゃいますね。

これにてほんとに終演!皆様ほんとにお疲れ様でした!年々規模も大きくなってて、年一でもアマチュアで演奏会企画運営するのマジでぶっ倒れそうになるくらいの労力かかってるでしょうに、毎年熱を持って開催してくださりありがたいです。関東を拠点にできたら奏者側で参加したいねって、そういうふうに本気で思える楽団です。来年も行きます!よろしくお願いします!
天上決戦!ポケモン工芸展【名古屋会場レポ】
きたぞポケモン工芸展!(再)(再)

名古屋・松坂屋南館7階にある松坂屋美術館にて、4/26〜6/15まで開催されている名古屋巡回展に行ってきました。(私が行ったのは開催2日目、人もたくさんでした。)
ポケモン工芸展参戦は金沢、東京に続き3度目になります。過去巡回展で登場した作品の感想はこれまでのブログにあるので、そちらもあわせて見てね。
金沢の感想↓
東京の感想↓
名古屋会場ニューフェイス
さっそく今回名古屋会場でお披露目された新作から紹介。
池田晃将『光晶亀甲飾箱』

『電光投擲捕獲箱』然り、漆塗りの黒い箱にホログラムのようにサイバーチックに玉虫色の文様が浮き出る、リアルとヴァーチャルをつなぐポケモンというコンテンツに対する向き合い方・伝統技法への現代的センスの落としどころに舌を巻く池田氏の作品。
今回新たに制作されたのは”テラパゴスの甲羅”(休眠状態か?)。これまでポケモンそのものを造形する作品は作ってこなかった池田氏ですが、なるほどこれはハマりにハマったモチーフ選定。甲羅は生体を護る箱であり、すべてのタイプを内包するステラは玉虫色。休眠状態でも甲羅の奥に刻まれているであろうタイプアイコンという情報が、見る角度次第で覚醒状態のように浮き出て消えて見えてくるのが楽しい。さらに、よくよく見れば六角形の角は部分的に抉れたようになっており、リコのペンダントというよりかはエリアゼロ最深部でスグリに引っこ抜かれた天然モノのテラパゴスといった趣。これだけでストーリーの追体験ができてしまう……!
それにしても、金沢で工芸展が初開催されたとき(2023年3月‐6月)にはまだテラパゴスのパゴの字もなかったはずなのに*1、と思うと感慨もひとしお。工芸展だけに限らず、コンテンツの拡大スピードに追従して進化し続けられるメディアミックス作品群の体力には恐れ入ります。
桂盛仁『ブローチ/ペンダント マギアナ』

ブラッキーのブローチ/ペンダントなど、黒を背景にした金銀の美しい小物が印象的な桂氏の作品。
新作はマギアナがモチーフ。銀のシックな輝きは新作だというのにどこか使い込まれた深みさえ感じさせます。そのままアンティークショップの奥底から発掘されててもおかしくない。身につけて、共に過ごして、自分の手垢をつけて、磨いてあげて、そうやって関わることでこの銀はより現実味を帯びた色に変容するのでしょうし、その行為がこの子のソウルハートに命を流し込むことそのものになるのでしょうね。
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今回の新作は多分この2作だけ、だと思う……!
ポケモン工芸展、随時新作を投入してくれるのは大変ありがたいんだけど「どのタイミングでどの作品が初お披露目になったか」を辿れるデータベース/プロモーションに乏しい気がして(大々的に宣伝できたの東京会場のミュウツーくらいでは?)、そこらへんもうちょい欲しいなあって思ってます。
名古屋会場のようす
まず触れるべきは会場の明るさ。暗い。別に手探りで前へ進まなければならないほどとかじゃ全然ないんだけど、東京会場と比べると全体が格段に暗く、逆に作品個々に強く眩いスポットライトが当たるメリハリ。展示物を見て回る行為が、そのまま光る目印を頼りに暗闇を進む感覚に。


「作品同士の距離感」も「作品と鑑賞者の距離感」も、それぞれの距離感が、本来かなり近いところにいるはずなのに光と影によって明確に分け隔てられる。東京会場で感じた「個々別々の作品の間に連続性を見出す」展示とはある意味で真逆かもしれない。



入口で「順路は決まってないのでお好きなところから見てください」って言ってたスタッフの方がいらしたけれど、基本的には一方通行で流される配置。しかし、滞留できるところと人を流すところのメリハリがうまく作られた空間構造。

空間作りの特徴として、空間を斜めに区切るパーテーションが多用されていた印象。滞留可能な広い空間から斜めの壁が奥に向かって狭まり、その先に照明に照らされた別の空間が浮き出て見える。無意識に、先の空間へ足が向く。

定例訪問

『無題』くんです。今日も輝いてるね。
でも、今回はどこかいつもの輝きとは違うような……?

無題くんがひとりぼっちじゃない……!
少なくとも金沢・東京では意図的に他作品と隔絶して配置されていたこの作品が、ここではみんなと一緒の空間にいる!篭っていた子が部屋の外へ一歩踏み出すのを見届けます。今までその身に反射させることのなかった色の光を反射させて、知らない輝きを放っているこの子。かっこいいよ。あんま無理しないで、気疲れしないようにしなね。

スランプラリーをやったよ
名古屋会場ではスタンプラリーが開催チュウ!周辺施設のポケモンスポット3箇所を巡ってオリジナルステッカーをもらおう!
東京会場とかでもやってたみたいですが早々に終わってしまったようで、今回はリベンジです。

周る場所は以下の3箇所。
スタンプラリー台紙と景品のステッカーは松坂屋美術館もしくはポケセンナゴヤで配布されています。
①松坂屋美術館(松坂屋南館7階)
コイキングのスタンプ。工芸展と同フロア、お手洗いの近くにスタンプ台があります。
②松坂屋屋上遊園(松坂屋本館8階/屋上)
ブラッキーのスタンプ。工芸展が開催されている南館7階から1階降った6階に本館への連絡通路があります。そこから屋上へ。

スタンプ台はピカチュウ↓のあたりにあります。


N君欲しさに触ってみたがなんか無理そうなのを察して2プレイで撤退。
③ポケモンセンターナゴヤ(PARCO東館2階)
ピカチュウのスタンプ。松坂屋のお隣PARCOにて。昨年秋のリニューアルオープン以降、平日以外はポケセン入店にあたり時刻指定の整理券が必要な状況が続いていますが、スタンプ台はお店入口の外にあるので整理券なしでもスタンプラリーは完遂できます。
入店してお買い物もしたい!という人は美術館に向かう前にまず地下鉄矢場町駅PARCO直結出口のあたりで配布している整理券をもらった方がいいかも。
おわりにおみやげ

名古屋限定、青柳ういろうとポケモン工芸展のコラボパッケージ。シールつき。2週間くらい保ちます。マストバイ。
おしまい!
*1:藍の円盤は2023年12月14日配信
【感想】『帰宅部のカオル、今日もそぞろ歩き』
私の愛する作家、ガラナさんの小説『帰宅部のカオル、今日もそぞろ歩き』に関する、ツイートじゃ収まらない部分の感想、走り書き。ネタバレと私怨が多分に込められている。
連載1話↓
書籍版↓
ひとりでいること、ひとりでいられないこと
ひとりでいることを、寂しい、つまらないと思うのではなく、自由であると思えてこそ、手に入れられる自由がある。自由で気楽な、「たったひとりの世界」にいられる資格が、自分にはある。誰に教わったのやら、カオルはそう確信していた。(1話)
”人といることを幸せと思う人がいるのと同じように、ひとりでいることを幸せと思う人もいる”という燦燦たるぼっち賛歌に始まる帰宅部カオル。ひとりでいることを全力で肯定したいという願いをもった作品ながら、それに向き合えば向き合うほど”人はひとりでは生きられない”という部分が肥大化していくストーリー展開は、生まれ出でた瞬間から社会の中の一部品として存在しているはずのひとりの人間がぼっちを謳歌していられることの自己矛盾と無責任をそのまま突き付けてくる。
ぼっちにもいろいろいるが、カオルに関していえば「話しかけられれば自然に言葉を返すことはできるし、何なら自分は聞き上手だと思っている。ただ受け身だとか、3人以上のグループの中に入ったときに途端に話せなくなるとか、会話の楽しさより表情筋の疲弊のほうに意識が向いてしまう自分に気付く」とか、そういうあたりにぼっちを見る。究極的には、優しさと自己愛ゆえに。
誰かに話しかけられる。目を見て、求められる答えが何かを察する。相手の凸に合わせて自分を凹ませて「この人のためだけの自分」をつくり出す。取り繕う。1対他のコミュニケーションには対応不可能でも、そういうコミュニケーションばかりする。あなたが喋るなら私は引きます、というポーズをとる。だから「保藤は優しい」のであり、その優しさを免罪符に、凹んだ自分をもとの形に戻すためにぼっちでいることが肯定されると確信するのである。作中のカオルの台詞がほとんどモノローグもしくは1対1の対話に留まるのは、ぼっちコミュニケーションの限界点がそこにあるのを示すようで。大庭、金木、カオル3人の掃除シーンであまり喋ってなさそうなカオルなんかを見ても、(あの場ではカオルが大庭と金木に会話を譲る正当な理由があるにしても)「会話に参加しているかいないか微妙な距離感でとりあえず愛想笑いだけしてるぼっち仕草」のようなものが感じられてしまって、私は勝手につらくなる。
もっとも、自分を削ったコミュニケーションなんて多かれ少なかれ誰もがやっていることで、その優しさは免罪符にはなり得ない。結局、ぼっちとは他者と交わることよりも自分の形を保つことを優先する人間なのであり、自己愛者なのである。それが優しさと真逆の他者に対する薄情であることもカオルにはわかっている。わかっていながらそのありように留まるのが、ぼっちの他者に対する無責任そのものなのだ。
眼差されることを煩わしいと思える程度には自分が他者の視線を受けていると思い込めてしまう人間が、自己に向けていた愛を少しでも外に向けることができたなら、次に待つのは投げた愛が返ってこない寂しさで、カオルは別に返ってこなくてもいいって思っているかもしれないが、じゃあその寂しさはどうするのって、そういう話になる。
カオルと楠木
ぼっちのぼっちたる所以、選り好みをするところ。選り好みというと表現が露悪的だが、コミュニケーションに過度に気を遣う人種だからこそ「関わる相手が自分が身を削るに値するか否か」というジャッジは傲慢にもシビアに存在し、そして楠木というキャラクターはカオルにとって「否」な人物である。カオルは楠木に対しいつも他人に見せるような相手に合わせた取り繕ったコミュニケーションを見せず、終始雑に対応する。カオルにとっては親愛とは真逆の対応のつもりなのだが、しかし一般的に取り繕わない姿というのは信頼のおける相手だけに警戒を解いて特別に見せるものであり、実際カオルも雑な対応をするうちに(自らの意に反して)自分の根源的な部分を楠木にだけ曝け出すようになってしまった。根っこが受け身だから、楠木のように自分のもとにグイグイ来てくれる存在は内心有難いだろうに。そういう倒錯がツンデレじみててかわいい。
あと楠木は普通にめっちゃいいやつ。ただ「男子のノリ」がカオルと頗る相性が悪いというだけで。別に自認は男だけど、そういう色とかどうでもよくてただそのまま無害な男子として女子達の中にいられるほうがいい(ハーレムとかそういうイジリマジでいらない)みたいな感覚は個人的に非常に共感できるところで、でもそういう男子って大抵ぼっちだよねって、この作品はそういうことを平気で言ってくる。
10話の回想
1話で「特にきっかけはない」としたカオルがひとりである理由に”後付け”を施す回想。既にだいぶギチギチな情報量の中に埋め込む必要があっただけにここだけ世界が違うというか、急に難読になる印象はあるのだが、敬愛するひとにかけられる「保藤は優しい」に対しカオルは何を思うか、という軸の対比にすべてを乗せるのは思い切りがある。結果的に良い補強になってたと思う。
カオル、金木、キンモクセイ
「俺、金木さんのことは好きだよ。でもさ、誰かを好きでいたとしてさ、相手が同じだけ自分を好きでいてくれるとか、ないじゃん。ありえない。嫌われないとか、仲良くするとかはできても、ずっと両思いでいたいなんてありえないし、そんなありえないことに躍起になるのも。好きだ、だからお前も好きだと言えなんて、自分ばっかりみたいで」(9話)
カオルの”青春嫌い”の根幹の部分。コミュニケーションが双方向の開示であることを理解しているからこそ、カオルは自分の主張を押し付けて相手を傷つけ、それによって自分も傷つくことを極端に恐れる(だからやってきたものを受け止めるコミュニケーションしかしない)。
結局、カオルは最後まで金木に自分の好きを押し付けることはなかった。自分の寂しいは自分の中に留めおくまま、ただ別れ際にキンモクセイの香りのハンドクリームを渡す。一見すると控えめな自己表現だが、この作品のテーマである「嗅覚と記憶」の文脈を踏まえればカオルのこの行動はかなり大胆なものである。
そもそもキンモクセイとはカオルと金木にとって思い出の花……なのではなく、4話の金木の「へえ、楽しみ」を真に受けたカオルが拗らせただけで、金木にとってキンモクセイは何でもない花である。書籍版おまけ「ケイカちゃんを送る会」でキンモクセイに思い当たる節が全くなさそうな金木を見ても悲しいことにそれは明らか。カオルにその状況がどれだけ理解できていたかはわからないが、カオルだけがキンモクセイの香りに金木の姿を見るようになってしまった不均衡を是正したいという意図がハンドクリームには込められていた。「私はキンモクセイであなたを思い出すようになってしまいました、だからあなたもキンモクセイで私を思い出してください」であり、金木に自分という杭を打ち込めればそれでいいという一方的な身勝手である。「好きだ、だからお前も好きだと言え、なんて言えない」とか抜かしてたやつがそうするのだ。そうやってカオルは忌避していた青春にすっかり取り込まれていく。
じゃあ金木にとってカオルはなんだったのか、なんでもなかったのか。「送る会」での金木の台詞「でも、寂しいのって辛いけど、悪いことじゃないんだって」にすべてが詰まっていると思う。それで、十分。
「よわものどもがはなむけに/初音ミク」【創作メモ】
2025/3/7に「内田サイ」名義ではじめてのボカロ曲「よわものどもがはなむけに」を公開しました。聴いてくださった皆様、感想解釈くださった皆様、大変ありがとうございます。
あんまり語るのも野暮とは知りつつ、剣盾サントラでバドレックス戦BGMを語るマスダみたいなやつをやってみたいので、創作メモを残します。
使用ソフト
楽器含め、V4Xを買ったときについてくる初期装備のみで作曲しました。
楽曲コンセプト
・私の敬愛するフォロワーであるガラナ氏のポケモン二次創作『エスパー千夜一夜』より「メタングと少年の部屋」シリーズ*1の世界観を誠に勝手ながら拝借させていただきました。作中キャラクター「ニル」に寄せた歌詞にかねてより自分がやってみたかった音楽を馴染ませるように作りましたが、結果的に私の自我が出すぎてニルのもつ善性を殺してしまい、その点は申し訳なく思います。
・曲タイトル初期案は「夢のまえ、夢のあと」でしたがさすがに「たびたび」すぎたため却下。
・書き下ろしたサムネ画像は、原作小説でも印象的な「黒い煙を吐くムシャーナ」。
楽曲構成
・最初に提示する11/8拍子のシーンを繰り返しながら6/8や2/2拍子を間に挟んで進行する、A-B-A-C-Aという構成だけを見れば小ロンド形式っぽい、かも。曲中で拍子が変わるギミックは搭載させたいともとより思っていて、初期案では私が中高吹部時代にアンサンブルコンテストでやったガブリエリのカンツォン*2みたいなのをイメージしてたのですが、最終的に今の形に。
以下楽曲部分ごとに詳説。
1.記念受験だって〜(0:00‐)
・11/8拍子(4+4+3の11拍子)。先述した拍子が変わるギミックを使うために、2拍子系にも3拍子系にもスムーズに移行できそうな拍子として採用。低音のみ2+3+3+3で動かして、次の6/8(=3+3)への移行がスムーズに行えるようにするとか、そういう気配りはする。
・和音は、下の方でシンセサイザー等が鳴らすDMmと上の方でチェレスタが鳴らすGmの2つのコードが同時に聴こえる構図。歌詞中で言えば下で沈殿するDMmが「ぼく」で、上に浮くGmが「きみ」になるでしょうか。もうほとんど繋がりのないところに行ってしまいそうな高い理想、夢。
2.痛い凝と〜(0:21‐)
・6/8拍子。この部分のコード進行は、東京事変の『夢のあと』*3Aメロのコード進行を理想としてそれを不完全な形でなぞることを意識したものです。夢のあとには至れない。
・メロディには、ポケモンBWの『夢の跡地』のフレーズを忍ばせています。
・ガラナ氏曰く、ニルの名前の由来は「ニルヴァーナ(涅槃)*4」とのことだったので、「解脱見込何年後」とかの歌詞は”涅槃”に寄せています。
3.きみがぼくを忘れるうちに~(0:50‐)
・2/2拍子。チェレスタが6/8拍子のパートのメロディをリフレインしながら東京事変の夢のあとのコード進行の再現を試みるがやはり不完全な形に、遅れてシンセが同コード進行を再現し、チェレスタがこれに合流することで初めて完全な再現が完成する、という筋書き。「きみ」が「ぼく」の元へ堕ちてきてくれることでようやく夢のあとが見れる、はず。
4.月の色は~(1:07‐)
・冒頭テーマをウッドブロックやトライアングル等の打楽器でリフレイン。ショスタコーヴィチの『交響曲第15番』のラスト*5を意識した楽器選びをしてますが、これは私が勝手に「ショスタコ晩年作品って”夢のあと”だよな……」と感じているためです。
つまるところ、自分の思い出と好きをコラージュしただけの作品です。
*1:原作→8.メタングと少年の部屋 カテゴリーの記事一覧 - ガラナガーデン
*2:私がやったのは『第7旋法によるカンツォン第1番』と『第1旋法によるカンツォン』でした。参考(第7旋法)→
https://youtu.be/qvL762gN_O8?si=vMZE4B89KuUcAHb3
*3:原曲→
https://youtu.be/5wzgo6FdFYQ?si=IPZJJVCJX_ACWKkT
*5:参考→この動画のだいたい43:00あたり
決戦!ポケモン工芸展【東京会場レポ】
きたぞポケモン工芸展!(再)

1年半ぶり2回目のポケモン工芸展です。前回参戦した金沢・国立工芸館での工芸展から時間も経ち、"そろそろ再会の頃合いだな…"と直感したので少ない有給を使って田舎からはるばる金曜の東京に降り立ちました。

麻布台ヒルズギャラリーにて2024/11/1(金)から2025/2/2(日)まで開催中の東京巡回展。www.azabudai-hills.com
私が行ったのは12/6(金)のお昼過ぎでした。さすが東京、平日でも人がいます。まあでも作品鑑賞に支障をきたすほどの人混みでもなかったですし、何より「隣の見知らぬ人から漏れ出た言葉から新たな気付きを得ることができる」のが現地鑑賞の醍醐味なので、良いタイミングで見られたかなって思います。
前置きはこのくらいに、さっそく。
ポケモン工芸展の世界へ レッツ ゴー!

お久しぶりです。
お変わりなく凛々しいお姿をしておられるブイズたち。金沢と同様に見に来た人々を真っ先に出迎えてくれた彼ら、ポケモン工芸展のコンセプトを示す導入としてあまりにも適格。実物は写真の10倍インパクトあります。
さて、金沢に展示されていた作品については以前の記事で紹介済なのでここでは(ほぼ)割愛します。この記事では東京会場の全体の様子や新作について述べていきます。
(↓金沢開催時の感想記事です。よろしければこちらもどうぞ。)
吉田泰一郎『ミュウツー』
ブイズの先には今回の目玉作品がいきなり登場。

東京会場で初お披露目された新作のひとつ、先程のブイズ像の作者・吉田泰一郎氏による『ミュウツー』。下から煽るように照らすライトが映す威圧的な影が美しい。


別アングル。 三方を壁に囲まれ、他の展示と隔絶された狭い空間で人の視線を受ける姿はまさにラボで研究対象として監視される姿そのもの。
隣にいた人が「手術してるミュウツー」って言ってたのがツボでした。
ところで、ミュウツーといえばほとんどの媒体で皮膚がツルツルに描写されているポケモン。ブースターのモフモフ毛やシャワーズの鱗のような皮膚まで精巧に作り上げた吉田氏ですが、ミュウツーにおいてはツルツル……ではなくむしろ遠巻きに見ると火傷痕のような生々しささえ感じさせる凹凸のある皮膚に仕上げています。
どうなっているのか、近くで見てみよう。

細かいパーツが重なった表層が確認できますが、よく見てみるとそれぞれのパーツがポケモンのシルエットになっていることがわかります。写真だと頭部側面の正面向きジュラルドンが見つけやすいかな(ジュラルドンの正面シルエットにわかりやすさを感じることあるんだ)。
ミュウツーの皮膚に浮かび上がる様々なポケモン。即座に思い浮かぶのはやっぱりミュウの「へんしん」。全てのポケモンの遺伝子をもつとされ、様々なポケモンに自由自在に変身するミュウ。そんな無限の可能性をもつ遺伝子も人間の手による改造の過程で変身の能力を失い、戦闘特化の生物兵器「ミュウツー」に成り果てた。皮膚に浮かび上がるポケモンたちのシルエットは失った変身の不完全な発現のようで、ミュウツーの人間に対する本能的な”まさしく遺伝子レベル”の抵抗のように思えてきます。それが生々しさ・痛々しさを伴った姿として出力されたように見えてしまうのは、どうにも遣る瀬無く……。
東京会場のようす


金沢の工芸展では展示スペースは複数の部屋に渡り、なかには一つの部屋をまるまる使って一つの作品を配置する超豪華仕様があったりもしましたが、ここ麻布台ヒルズギャラリーの展示スペースはでっかい一部屋をパーテーションで緩く区切った形。「1,すがた」「2,ものがたり」「3,くらし」の3つのテーマに沿った作品群を順に巡る構成は以前の工芸展と同じながら、パーテーションの隙間から別の展示がちらと見えたり、この先にどんな作品が待っているのか目線を上げればすぐに見えてくる配置で、本来個々独立しているはずの作品同士に連続性が感じられます。導線もわかりやすい。
故に!

こんな感じで『ピカチュウの森』と『Vessel-TSURARA』が一つの空間に同居するところも見られます!ライトを受けて輝く黄金色の森と白銀の氷のコントラストが美しい。
『ピカチュウの森』は作品の中に自ら入ることで楽しむ体験型アート的側面をもった作品。対して『Vessel-TSURARA』は、金沢においては一部屋まるごと使った展示で、”つらら”の間を縫って歩く体験ができたのですが、この会場ではスペースの都合かそれは叶わず。作品配置を考えた方は両作品に共通する「体験」に思いを馳せたんじゃないか、って思わんこともないですが、東京会場で意識される「個々のフォーカスよりもそれぞれの連続性を」という印象をみれば同じ画角に収まる配置が生み出す化学反応に期待したのかもなと思え、納得感があります。


話を戻して東京会場。『Vessel-TSURARA』側から撮影。画像右奥の着物が見える方向が順路だが、中央奥にもわずかな隙間から何かが見える!これは!!

『無題』くん!こんなところにいたんだね!
『無題』といえば技「かげうち」をモチーフにした作品。金沢では真っ暗な部屋にぬるりと聳え立つミステリアスな姿を見せてくれましたが、ここでは明るい部屋にひとり。金沢を踏まえて君を見るとなんというか、幽霊の正体見たり!って感じかも。



この前まで得体の知れないものだったのに、明かりの中に引き摺り出されると途端に仲良くなれる気がしてきます。漆の黒光りが光の中でより美しく輝いてかっこいい!横から見るとそんな形してたんだ!下のほうちょっと窪んでるんだね!

パーテーションをセンターに空間の境界を撮影。こうしてみると『無題』のほうはかなり照明が白い。黒が一番映える白に照らされて『無題』くんもうれしそう。
というか『無題』のほう、全然人がいない。先に上げた画像からわかるようにこの作品は順路から外れた袋小路に配置されているので、入場者数に比してこっちに行く人がほんとに少ない。人いなさ過ぎていろんな角度からじっくり写真が撮れたのはよかったけどさすがにこれ見ないの勿体なさすぎる!これだけ「他作品とのつながり」が意識される中で他から隔絶されたこの配置ってそれだけで計り知れないほどの価値があるのに。
でも、誰にも見られず誰とも関わらずしずかに佇み影から世界を見守るその姿はやぶれたせかいのギラティナのようで、そっとしておけるならそっとしておいてあげたいなって、そうも思っちゃうんですよね。
桑田卓郎『タイル(ピカチュウ)』ほか

金沢で見たときよりカップが増えている……?ピカチュウ柄のかわいいカップに加え、東京会場では後ろのピカチュウ柄タイルが仲間入りしたようです。これまでただ「カップが並んでる」にとどまっていた展示がタイルの登場により全体としてのまとまりを得て、ひとつの世界に集約された感があります。
そういえば、金沢で初めてこれを見たとき「ポケセンでレプリカなりなんなりがグッズ化されないかなあ」って思ってましたが、なんとこのカップたち、モノホンが東京巡回展開催中に抽選販売されていました(現在応募期間終了)。私はお小遣いの都合で見送ってしまいましたが多分何年後かに「応募するだけしとけばよかった!!!」ってめっちゃ後悔してると思います。
植葉香澄『蔦唐草文ジュペッタ』『蒼炎文ヒトモシ』

かわいいゴースト2匹が東京会場でお披露目。ジュペッタのほうは「蔦唐草(つたからくさ)文」(名前のイッシュ味が強い!?)、ヒトモシのほうは「蒼炎(そうえん)文」(イメージぴったり!)の豪華な意匠。ずっしりとした重みも感じられる像ですが、私はジュペッタのバランスが気になって。原作どおりのシルエット・頭のおっきいフォルムで、それでいてしっかり二足で立っている。どうバランスをとっているんだろう、倒れないんだろうかって心配になってしまって。横から見てみました。

しっぽ!!!
今まで私がほとんど意識したことがなかったジュペッタのしっぽ部分を用いて、足としっぽの3点で器用にバランスをとっている!マッシブなしっぽ。まわり込むことで見える作家の苦心と発想がすごく楽しい。
コラボカフェ概念・喫茶ポケモン工芸展

今回の工芸展、なんと見るだけじゃなく食べることもできる!麻布台ヒルズギャラリーカフェでは巡回展開催期間中ポケモン工芸展とのコラボメニューが販売中!さすが東京、やることが洒落ている。
店内BGMもポケモン仕様で、初代〜4世代のBGMからピックアップされた何曲かがループしていました。私が店内に入ったときはちょうどRSEの「美術館」が流れていて、ちゃんとしてるなあって、いたく感心したものです。

めっちゃ黒ゴマ。ホウオウとルギアが描かれている紙みたいなやつ、食べられるやつなのかいっつもわかんなくて困ってしまいがち。

クロックムッシュ食べ慣れなさ過ぎてあわあわしながらフォークでつついてたの恥ずかしい。調べたらクロックムッシュは素手で食べるものって出てきたんですが正気ですか。

コラボメニューを注文するともらえる特製ランチョンマット。A3サイズ。プラ製。こういうイベントでもらえるノベルティにしては割としっかりしておりクオリティの高さにびっくり。でかいので、これを持ち帰るためのバッグを用意をしておかないと大変なことになります。
おわりに
東京巡回展の記事はこれにておしまい。今回は新作の紹介が主になりましたが、既存作品も会場ごとに、見るたびに違う味わいを感じられるのでもう行った!って方もぜひ2回3回と行ってみてほしいです。
東京の巡回展は前期と後期に分かれており、私が行った前期展示は12月25日まで。26日以降は後期展示となり展示替えが行われるようです。公式がリピート推奨ムーブをしている!これは行くしかない!
東京は無理!というそこのあなた!ポケモン工芸展は今後愛知、青森、長崎へ巡回する予定とのこと。行けそうなとこに行って応援しよう!